サッカーと運動量 【物理量としての運動量】



目次



運動量というキーワード


試合後の監督会見での勝利の要因の多くは「相手より運動量で勝った」であり、敗戦の将の弁も大抵「相手に走り負けた」である。観戦していた者なら「ミスをした選手を庇っている」と勘繰るぐらいに、指揮官たちの会見には『運動量』なる言葉が付き物である。これは試合後だけでなく前日会見でもよく言及される。無論、戦術プランをペラペラと喋る訳にもいかないので、相手へのリップサービスが終われば当たり障りのない精神論的な響きを持ってそれが私たちに届けられるのである。

一方、厳めしい「現代サッカー」という言葉は選手たちにストイックなアスリートであることを突きつける。「速く走り、長く走る」ことが必須条件であり、現代の洗練された戦術には必要不可欠である。かくして、ノスタルジックな時代の10番のプレーを見てもっと走れと思うくらい、運動量は当たり前となった。

選手の移動を可視化したものとしてヒートマップがある。選手がどんなポジションにいたか一目瞭然である。がしかし、これから選手の試合の寄与度を測ることは困難だ。

戦術やスキルを差し置き「運動量」が結果を左右する要因であろうか?

上述はミスリードであり、瑕疵がある。「戦術や技術」と「運動量」を対比すると前者は微視的、後者は巨視的である。シュートやパス、ドリブルをするにはボールにタッチする必要があり、そのためにボールを追いかけることになる。また、スペースを埋めたり、寄せたり、プレスであれ、リトリートであれ、結局は走るため、運動量は「戦術や技術」を内包することとなる。

よって、「運動量」は結果を左右する要因であると類推される。

走力と試合結果の相関、逆相関


2016年のJリーグ一年間の1試合平均の走行距離順のデータ






以上を見てどう思うだろう。

運動量を端的に示す走行距離、スプリントという指標が「勝ち点や得点に比例し、失点と反比例するのではないか?」という目論見に対し、出た結果は無残であった。

データの私なりの解釈を加える。失点と2つの指標はほぼ無相関。得点と走行距離は逆相関!得点とスプリントは緩く逆相関。走るチームは得点が奪えないのだ。

実際、走行距離の上位9チーム、下位9チームに分け、勝ち点や得点、失点などとの相関係数を出してみたがいずれも無相関、もしくは上位9チームの方が勝ち点や得点に対して緩く逆相関する結果が出た。(これはグラフ化などしていないので掲出していない)

実際この結果で筆を折ることとなった。「走ること」は結果に寄与しないばかりでなく、「走るチーム」の方が弱いのだ。

走るチームトップ3は11位、17位、15位。川崎や鹿島は走らないチームであるのに強く、走らず弱いのは名古屋のみであった。浦和は走れるチームながら強いがその上下のチームを眺めるとその結論は揺るぎなかった。

使ったデータは生のままで、そのデータ同士を比較対象しているので結果が間違っているとは考えられない。しかしこの検証には一つ重要な視点が見落とされている。それは試合の相対性である。個別チームの走行距離やスプリントが比較されたのは自身の勝ち点や得点、失点である。勿論、試合結果は相対した結果であるから全く関連性がないとは言えない。しかし試合単位でみれば、よく走るチームは常に対戦相手より走っているとは言い切れず、そうした試合単位での比較を積み重ねた結果、走力の差が結果と比例するのであれば「運動量」の重要性は否定されない、と考えた。

しかし、重要な指標と捉えていた走行距離とスプリントが結果と比例していないため、ミクロからマクロな視点に移った途端、同じ結果となると推察できた。

では視点を変えてこの結果を正しいものとして受け入れた時、見えてきたのは「よく走る」ではなく「走り過ぎている」もしくは「走らされている」だった。「走り過ぎ」を「消耗」と捉えるために持ち出したのは物理量だ。

物理量としての運動量


物理量としての運動量は mv 。
以下は運動方程式から運動量、運動エネルギーの導出。






運動量の比較


Jリーグ第4節、チーム別平均の運動量、運動エネルギーの比較グラフ



隣り合う2チームが対戦カードである。この2チームの運動量と運動エネルギーの差をとり比較する。

終了時の運動量ー開始時の運動量(0)=力積
終了時の運動エネルギーー開始時の運動エネルギー(0)=仕事 

運動量の差は力積の差であり、力積は(力×時間)で、同じ90分間を戦っていたのでこれはそのまま力の差と表現できる。

運動量はベクトル量、運動エネルギーはスカラー量である。運動エネルギーはそのまま消費エネルギーと見なせる。

これを対戦カード別でグラフ化した。緑がエネルギー差、赤が運動量差、青が勝ち点。ただし、グラフに対する相関を見易くするため、ホームチーム側から見た相手チームとの勝ち点の差で表現している(勝ち+3、引き分け±0、負け-3)。下のグラフは支配率。




相手チームより運動量が勝るチームは当然のように消費エネルギーも多い。この中で明らかに運動量の差が結果と相反するカードは、清水ー鹿島、神戸ー磐田。清水のポゼッションは4割に満たないので、鹿島に走らされ疲弊したとも捉えられる。神戸ー磐田はポゼッションは拮抗しているので、運動量が違いを作れていないのかもしれない。横浜FM-新潟は引き分けているが、新潟は走らされたのか、マリノスが走らなかったのか。札幌ー広島、FC東京ー川崎は運動量が報われた試合であるが、支配率は芳しくない。

運動量の差が違いを作る要素である一方で、相対的な指標として走らされている事実を表しもする。バランスを欠いた運動量差やエネルギー差は、バランスを欠いた試合を招きやすいのかもしれない。今節のFC東京の大勝や清水の逆転負けなどに端的に表れているように思う。

このグラフを見て気付くのは、「運動量」は結果を左右する要因ではなく、試合内容を反映する指標であるということだ。

試合結果と試合内容は常に比例せず、ビハインドを負うチームは攻勢をかけるため、この指標は結果と強く相関しない。しかし、それ故に運動量とスコアや支配率などを組み合わせるだけで試合内容をよく表現できるように思う。

「走行距離」と「スプリント」を運動量と捉えたデータの無残さに比べると、物理量としての運動量のグラフはちゃんと試合をビジュアライズしている。運動量の増加はポジティブな面とネガティブな面があり、「相手を走らせている」運動量と「自分たちが走らされている」運動量には違いがある。

ベクトル量である運動量の差は試合の優劣を示すが、その差の大きさはエネルギーに比例し、体力の消耗の差も同時に示す。

運動量の重要なファクター


しかし、現代サッカーを信奉する監督たちは、やはり「運動量」は結果を左右する要因だと思っているはずだ。

そんな監督たちが口にするインテンシティやフィジカル、アジリティなどの表現は世界標準との差異を表す際に多く用いられる。この中には多くの含意が入っているのだろう。世界と戦うには、技術が足りないのか、それともスピードなのか、身長なのか?ヨーロッパの国々と比較した際、日本人に圧倒的に足りない要素は何か?

運動量が違いを作るのならば、足りないものは「体重」だろう。運動量は質量×速度であるからだ。同じ速度ならば、体重差は違いを作るのだ。体格の小さい選手が無暗に体重を増やすのが適切なのか分らないが、運動量差を埋める重要なファクターは明らかに身長よりも「体重」なのだ。

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