J's GOAL 広島対浦和のマッチレポートに喚起させられた。
「広島は私がつくったチームである」
ミシャの試合後のインタビューの一言だ。
因縁めいた話題を煽るマッチメイクを2年続けたJリーグの運営サイドは満足だろうが、たぶん浦和側はもう食傷気味だ。気負っていたのは森脇と、広島のように見受けられた。優勝チームからの移籍に気が立っているのは当然、広島は見返してやろうという気持ちが強かったのだろう。
ミシャの試合前日コメントは何となくテンションが低かった。それもこれもACLだろう。簡単でも楽勝でもないが、怖さも刺激も物足りないJリーグの日常風景。未知と刺激に満ち溢れた魑魅魍魎の跋扈するACLの非日常と、そこで負けた悔しさをを晴らせるのはやはりACLでしかない。大きな飢餓感とでも言うのだろうか、この試合の先に透けて見える広州の影を感じずにはいられなかった。
内容は見ての通りだ。前半圧倒、後半はなんとか凌ぎ切り勝利。森脇はブーイングに委縮しているように見えた。広島はブーイングに自責の念など感じる必要はない、ただ物足りないだけだ。中国の異様な空気感にはほど遠い。それは平和的で良いのだけれど。
広島は広島の亡霊にやられたとでも思っているのだろうか。とんでもない。全くの別のチームだ、しかも昨年から。広島はスペシャリティなチームだ。フィニッシャーの佐藤寿人に如何に良いボールを供給するかが生命線で、高萩、ミキッチ、ファン・ソッコなど適材適所の人材が欠けるのは戦力に大きく影響するのも仕方がない。掛け違えたボタンのようにプレッシャーが掛からず、後手に回ったことで押し込まれてしまった。浦和のミスからのカウンターを決めていれば試合内容はがらりと変わっただろう。浦和が勝ったのは原口の個の能力だが、違いは依存と選択肢というニュアンスの部分だ。原口のドリブルは武器ではあるが、それを生かすためにチームを作っていない。広島は寿人を欠くなど考えられないのではなかろうか。
さて、冒頭の言葉である。
記者が言うとおり寂寥感もあったろう。しかし昨年に雪辱は果たしていて既に2年目だ。特別な感情はもうないと言っている。ミシャの発言はブーイングや批判に対してのポーズのような気がする。森脇に対するブーイングや「広島のサッカー」、浦和の広島化という揶揄に対して。サッカースタイルであったり、育てた選手であったり、このマッチメイクそのものに対して。リスペクトを欠いていると、ミシャは感じているのかも知れない。これはある意味ミシャ個人の、ミシャ自身の手に獲りかえす為の戦いだったのだろう。
「ミシャの亡霊に打ち勝つミシャのサッカー」という代名詞を獲りかえす為の。
広島は戦う相手を見失っていた。森脇でも、槙野や柏木でも、ましてやミシャでもなく、ミシャのサッカーを体現する浦和レッズだった。もしくは見えない敵だからこそ戦えたポケットの中の戦争のように、感傷的な気持ちを隠すべく見えないふりをしたのだろうか?
「広島は私がつくったチームである」
ミシャの試合後のインタビューの一言だ。
因縁めいた話題を煽るマッチメイクを2年続けたJリーグの運営サイドは満足だろうが、たぶん浦和側はもう食傷気味だ。気負っていたのは森脇と、広島のように見受けられた。優勝チームからの移籍に気が立っているのは当然、広島は見返してやろうという気持ちが強かったのだろう。
ミシャの試合前日コメントは何となくテンションが低かった。それもこれもACLだろう。簡単でも楽勝でもないが、怖さも刺激も物足りないJリーグの日常風景。未知と刺激に満ち溢れた魑魅魍魎の跋扈するACLの非日常と、そこで負けた悔しさをを晴らせるのはやはりACLでしかない。大きな飢餓感とでも言うのだろうか、この試合の先に透けて見える広州の影を感じずにはいられなかった。
内容は見ての通りだ。前半圧倒、後半はなんとか凌ぎ切り勝利。森脇はブーイングに委縮しているように見えた。広島はブーイングに自責の念など感じる必要はない、ただ物足りないだけだ。中国の異様な空気感にはほど遠い。それは平和的で良いのだけれど。
広島は広島の亡霊にやられたとでも思っているのだろうか。とんでもない。全くの別のチームだ、しかも昨年から。広島はスペシャリティなチームだ。フィニッシャーの佐藤寿人に如何に良いボールを供給するかが生命線で、高萩、ミキッチ、ファン・ソッコなど適材適所の人材が欠けるのは戦力に大きく影響するのも仕方がない。掛け違えたボタンのようにプレッシャーが掛からず、後手に回ったことで押し込まれてしまった。浦和のミスからのカウンターを決めていれば試合内容はがらりと変わっただろう。浦和が勝ったのは原口の個の能力だが、違いは依存と選択肢というニュアンスの部分だ。原口のドリブルは武器ではあるが、それを生かすためにチームを作っていない。広島は寿人を欠くなど考えられないのではなかろうか。
さて、冒頭の言葉である。
記者が言うとおり寂寥感もあったろう。しかし昨年に雪辱は果たしていて既に2年目だ。特別な感情はもうないと言っている。ミシャの発言はブーイングや批判に対してのポーズのような気がする。森脇に対するブーイングや「広島のサッカー」、浦和の広島化という揶揄に対して。サッカースタイルであったり、育てた選手であったり、このマッチメイクそのものに対して。リスペクトを欠いていると、ミシャは感じているのかも知れない。これはある意味ミシャ個人の、ミシャ自身の手に獲りかえす為の戦いだったのだろう。
「ミシャの亡霊に打ち勝つミシャのサッカー」という代名詞を獲りかえす為の。
広島は戦う相手を見失っていた。森脇でも、槙野や柏木でも、ましてやミシャでもなく、ミシャのサッカーを体現する浦和レッズだった。もしくは見えない敵だからこそ戦えたポケットの中の戦争のように、感傷的な気持ちを隠すべく見えないふりをしたのだろうか?
コメント
コメントを投稿