内容と結果の関連性と曖昧さによる誤謬 AWAY新潟戦

新潟対浦和の試合は内容と結果のアンマッチを伴った。それ故に敗者は嘆き、勝者は安堵と充実感を漂わせた。というのが試合を観終わった第一印象である。

内容と結果のアンマッチ という表現はいまいちしっくり来ない。それは表現が曖昧すぎるからだ。

ミシャのコメント一部抜粋
新潟は我々よりもコンビネーションがあり、攻撃をしかけていたと思います。我々はもちろんもっと良い内容のゲームができるチームです。ただ、今回、我々はまた新しい姿を見せることができたと思います。昨シーズンは、良い内容の試合をしながらも勝利を得られないというゲームもありました。
誤謬を避けるため言葉は的確に定義する必要がある。

ミシャの言う「良い」とは「攻撃的」である。ミシャが「攻撃的」と評するのものを言い表すのは難しい。あえて表現すれば「コンビネーション」を駆使してゴール数、ポゼッション、シュート数などの「スタッツ」を圧倒することだろうか。

「内容」とはもちろん「試合内容」であるが、場合によっては「スタッツ」と同義に用いられる。それは「試合内容」が「スタッツ」に反映されていることが多いからだが、内容を表さないスタッツもあるため厳密に呼び分ける必要がある。それはサッカーが統計と折り合いが悪く、試合内容を表す数値が「確率的」にゴール数に結びつかないためである。

検証するものに上記を当てはめる。

「内容」と「結果」のアンマッチ を言い換えると

1、「試合内容」と「勝利」のアンマッチ
2、「統計(スタッツ)」と「勝利」のアンマッチ

となる。

2については既に述べたとおり往々にして起こり得る。統計が役に立たないのは、選手の能力やピッチ、ミス、気象条件、審判の傾向など数値化できない要因が沢山あるだめだ。サポーターももちろんその一つだろう。文字通り「統」べていたら「計」れるのだろうが。

1については少々複雑である。ミシャが言う「良い内容でなかった」は「攻撃的な試合内容ではなかった」だ。しかし注意点がある。ミシャのハーフタイムコメントだ。
・つなぐ意識が強すぎて、複雑にやりすぎた感がある。
・後半は特に最初の15分間、集中して入るように。
・次の点(2点目)が大事。先に点を取る強い気持ちを持つように。
後半ロングボールが増えたのは指示であることがわかる。その意図は新潟のプレッシャーを避け裏を狙うとともに相手のバックラインを下げさせることだったのだろう。裏狙いはあまり上手くいかず中盤を支配される形となったが、ピンチはどれもショートカウンターであったのを考えると現実的な選択であった。先制し、効率とリスク回避のための判断であったことが窺える。

そして2点目がこの試合の意味を変えた。時間稼ぎに出た浦和は静かに試合を終わらせようとしていた。アディッショナルタイム、攻め急ぐ新潟の隙を突き息の根を止めた。相手を疲弊させた再三のロングボールが効いたとも言える。采配は見事に嵌まり、交代選手が得点とアシストを記録した。

試合序盤の得点でゲームを優位に進め、最後にとどめを刺した。自分たちの思い描く「試合内容」ではなかったが、ストロングポイントを押し出すことではなく相手のウィークポイントを攻めることを選んだのは指揮官と選手たちだ。何しろ連戦の緒戦、コンディション管理には相当気を使っているのだろう。しかも主力のCBが怪我をした上でだ。

ミシャはそれを「新しい姿」を見せられたと表現している。

結論を言えば1は正しくはない。戦略を遂行した「試合内容」でゴールへと結びついたのだから。しかしこれも一つの尺度でしかない。価値観は多様なのだ。
クライフ 「守り切って勝つより、攻め切って負ける方が良い。」
ベッケンバウアー 「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」

新潟のチャンスの多くは田中達也を経由し、浦和の一番の脅威であった。彼が観ている者を魅了するのは必死でボールを追いゴールへ向かうひたむきさだろう。彼を好きな人は数知れず、嫌いという人は見たことがない。

価値観とは本当に多様なのだろうか?

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