サッカージャーナリズムに「完璧な文章など存在しない」

先に断らせていただくが前置きが長い。
必要でない方は読み飛ばすことをお勧めする。
ただ、私の論法に深く関わっているため
読んでいただければ幸いである。

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金融市場に関わる人であれば、
合理的利益追求と効率的市場仮説という金融理論が
一般には広く認知されているのをご存じだろう。
この理論は自由経済における資源の最適分配を証明するため、
資本主義の妥当性を裏付けるものとなっている。

これに対してランダムウォーク理論は
未来のニュースは予測不能で、株価はランダムに動くと謳い、
パッシブ運用を説く。

“効率的市場仮説信奉者のファイナンス教授と、その学生が道を歩いていた時、10ドル札が道端に落ちていた。学生が10ドル札を拾うと、教授はそれを大声でたしなめた。「君はまだわかっていないのかね。もしこれが本物の10ドル札だったなら、もうとっくに誰かが拾っているはずさ」”

これは「ウォール街のランダムウォーカー」に書かれている
効率的市場仮説のジョークとして有名なものである。
また他にも、投資のプロであるファンドの運用者がサルのダーツ投げと競い、
ほとんどがサルの運用利回りを下回るのだ。
この理論では、テクニカル分析の予測には科学的根拠がないとしている。

しかしあくまで効率的市場仮説を前提としているため
内部矛盾を含む理論となっている。

相場の矛盾はケインズの美人投票の例えが分かりやすい。
勝者は、最も美しい候補者ではなく、美しいと思った人々の数が最も多い候補者である。

効率的市場仮説は市場平均利回りを上回れない論理であるにも関わらず、
何年も続けて市場平均を大きく上回る一部の投資家は実際に存在する。

バフェットは、鼻毛が1本出ていたとか胸にパッドを入れていたとかで
皆が投票する気が失せた時、買いに走る。
それが本質的価値に影響しないのを見抜いて、
市場の歪みを利用するのだ。

ソロスはコンテストに絶対的な価値はないと説き、
彼女を取り巻く外的要因(例えばミス○○であるとか御令嬢だとか)と
それによる人々の偏りを見定め、
人気を見抜くのである。

ソロスは哲学による新しいパラダイムを謳う。
人が不完全である以上、
人が作り上げるシステムには欠陥があり、
そこに人が関与することで事態は複雑化する。

自然科学は結果(事実)に人が関与する余地がないため
人が立てた予測と比較検証し、
その因果関係を論理体系化することができる。
一方、金融市場はそのものが人間が作り上げたシステムで
人が関与し機能するため、
人が内包する矛盾をそのまま、または大きく強化され現れる。
社会科学の理論が機能しないのは
人間という不確定要素を正確に定義できないからである。
無理やり合理的利益追求という括りで語ろうとしても
人は国や環境、宗教や政治思想によって
合理性や利益の意味は変わる。
その多くは相殺され支配的バイアスが正しいのなら
民主主義に失敗はないはずなのだが
世界を見ると民主化の失敗例は決して珍しくはない。

ソロスは支配的バイアスと市場が相互に干渉し強化し合う関係を再帰性と名づけ、
バブルをブーム・崩壊モデルとして説明する。
事象に人が関与することで科学になり得ないと諭すのだ。

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まず、私たちの認識として
「対価を払うものには相応の価値がある」と思っているはずだ。

ある事象に対して取材しそれを報道することに価値があるのは
それをしたくてもできない人が数多くいることを意味する。

しかし報道する側も人である限り、
不完全で様々なバイアス(偏り)は散見されるはずだ。

「だからこそ言葉の倫理には相当気を使う」はずなのだが
多くの失言の火元がツイッターであるのは
ソーシャルの意味を理解できない人が多くいる証でもある。

読むのも、「人」なのだ。

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さて、本題に入ろう。

サッカージャーナリズムである。

ファン、サポーターであれば心情的、金銭的関与は可能ではあるが
ジャーナリストたちの特権にコミットできるような人は稀であろう。

故に彼らには価値がある。

事実を平易に報道するだけであれば
彼らは必要ない。

彼らがある種のバイアスを掲げながら
サッカーコラムを書くからこそ意味を成すのである。

しかし未来を予測するのは難しい。
魅力的なサッカー理論を語る人が名監督ではないように、
大型補強したから優勝できるとは言い切れないのだ。

2005年に浦和に在籍したサントス(三都主ではない)という選手をご存じだろうか?

エリジオ・サントス・サンタナ

彼はU-20に選ばれ2007年FCポルトに移籍した時に記事になった。
その時、あるサッカージャーナリストのブログに
この記事とそれに対する私見のエントリーがあった。

(現在調べてみるとどうやらアーカイヴは残っていないようだ。
はてなブックマークのリンクは残っているようだが…)

自分のあやふやな記憶のみで批判する気は毛頭ない。
しかもこのエントリーに批判のコメントを寄せた覚えがある。
覚えてる限りを書き起こしてみる。

論法としては
サントスのFCポルト移籍を
ヴェルディのアモローゾの件に重ね合わせ
浦和の逃がした魚は大きいとの結びだったように思う。
それに対し
ポルトへの移籍という事実のみでその結論は早いというような批判をしたように思う。

サントスが今どれだけ良い選手になっているかはわからないが、
ジャーナリストも私も多くのミスをし
論点のずれた記事を時間が経って読み返すことなど
恥ずかしくて出来はしないだろう。

救いなのは、誰も記事の成否など気にしていないことである。

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エルゴラのデザイナーが失言をした。
彼にしてみれば自身の崇拝する欧州リーグの頂に日本人が存在し
それを騒ぎ立てられるのが我慢ならないのだろう。

確かに持ち上げ過ぎの嫌いがある。
それこそが、過熱した支配的バイアスでありバブルの一因だ。
そしてそれを助長するのが
結果と得点者の記載もない海外選手の報道なのだろう。



私自身多くの偏見と間違いを晒しているのだろう。

「完璧な文章など存在しない。」

とは、村上春樹の言葉だ。

村上春樹にも書けないのだから、少しは慰めにもなろう。