言葉

些細で誰にも目にも留まらないこのブログなんですが、一つだけ継続的にアクセスのあるエントリーがあります。それは「We Are Diamonds」動画の海外反応の記事なんですが、アップしたのがもう4年も前になります。

なんでこんな話を書いてるのかというと、今更ながら差別的横断幕について書こうかなと思い立ったからです。個人的な意見や感想を書く価値はあるのかも知れないですが、僕個人の意見を書こうとは思っていません。その理由は、僕らは既に差別が悪いことだと知っていて、その先の主義や思想に関しては他人が変えられるものではないと思うからです。そして差別は至る所に、僕らの生活の中にさえ常に存在しているとも思います。差別や偏見は単純な無理解から、もしくは寛容の無さから、それとも到底理解の及ばないが故の恐怖心からかも知れません。

例えば、アニメやサブカルチャーのオタク文化などの世間の評価はネガティブからポジティヴに変わった例かも知れません。僕が10代の頃は萌え要素のあるアニメなどは偏見の対象でしたが、今は違います。潮目が変わったのはエヴァでしょうか?詳しくはわかりませんが、アニメを見まくるサブカル系の女子や萌えアニメの主題歌をカラオケで完璧に歌う女の子など、平成生まれあたりからの子とのジェネレーションギャップを強く感じた瞬間でした。

ただこういったアニメや漫画のサブカルチャーの再評価は世代や作品だけのものではなく、外国人の評価も影響しているとも思っています。ファンサブという違法行為を支え続けた圧倒的人気やその人気をビジネス化し日本以上に厳しい世間の評価をくぐり抜けた実績とその影響(例えばマトリックスやレディー・ガガ)が少なからず自分たちの文化を見つめなおす機会になったような気がしています。

差別や偏見の例としてもう一つ。

李忠成に対する批判に「アジア代表」発言があります。彼が日本人になり日本代表になった後の発言で、攻撃対象としては「日本に対する忠誠心の無さ」でしょうか?

彼の生い立ちを知らないので、例えば彼がハーフであったとしましょう。両親が日本人と韓国人であった場合、「両親の内どちらが好きですか?」との質問と「日本と韓国どちらが好きですか?」の質問は本質的に同じような気がします。ハーフの人にはハーフの人しか分かり得ないどちらともいえない複雑な心境があるような気がしますが、これも所詮ハーフでない人間が想像したことにしか過ぎません。

ハーフナー・マイクは両親とも日本人ではないですが、日本で育ち日本国籍を持つ日本人です。彼に「オランダより日本を愛せ」と言う人はいないでしょう。


閑話休題。


僕が国語の授業で習った文法は橋本文法という文節ごとに区切る手法でした。文節ごとに区切って検討した結果、読解力が上がる訳でもなく、ただ文節が強調されただけなので、あまり覚えていません。ここ最近知ったのですが、時枝文法というのがあるらしいです。時枝誠記が提唱した言語過程説という「言語=(主体による総合の)継起的過程」という言語観での手法です。名詞等の客体は他の品詞と入れ子構造をとりながら文章を形成し、その文章は主体を表すということらしいです。

何が言いたいかというと、言葉を発すれば文章を書けば、そこに意識が表れます。主体=意識のない文章など存在しない、完全な客観など存在しないと。

これは多分に隠喩的で、完全な客観が存在しないからこそ可能な限り客観に近づく努力が必要なように感じます。


「JAPANESE ONLY」

件のゲートフラッグ。

「ゴール裏が統率が取れなくなるのが嫌だった」と本人が言っていた。
「ゴール裏が統率が取れなくなるのが嫌だった」と張本人が言っていた。

上の文章だと書き手が関係者、もしくは知り合いのようにも汲み取れる。
下の文章では名詞の意味が絞られ、悪いことをしたという意味合いととも上より距離感が生まれる。

否が応でも慎重に文章は書いたりしているつもりです。

今回の件では差別的な方向性はあっただろうと推察できますが、結局「日本人のみ」なのか「日本語のみ」なのかは言及されていないこと考えれば、「差別的」という表現がフェアな気がします。

英語のニュアンスを汲み取るのが日本人に難しいのであれば、積極的に使うのは誤解を生む危険性があります。

この後に岐阜のサポーターが出した「SAY NO TO RACISM」や「RAICIST」などの表現が過剰に思えるのです。

人種差別や人種差別主義者などのはっきりした表現がフェアな気がしません。


今回の無観客試合の日本メディアの海外向けの記事のタイトルを見てみましょう。

Urawa Reds play at empty stadium as punishment ffor discriminatory banner.

朝日新聞の英語版です。

浦和レッズは差別的横断幕の制裁として無観客のスタジアムで試合した。
訳すとこんな感じでしょうか。
an が empty stadium の前に必要な気がしますが。

反日で有名な NHK WORLD ENGLISH はこちら

Urawa plays match without fans for 'racist' banner.

浦和は人種差別主義者の横断幕のために無観客試合をした。
なんか racist より racism の方が文脈的に自然な気がしますが、「レイシスト」が使いたかった感が満載ですね。

ちなみにNHKは本文では差別的な行動( discriminatory action )て書いてます。
朝日は逆に本文で racist behavior (差別主義者的行動でしょうか?)と書いてます。

結局どっちも’レイシスト’を使っていますがタイトルに使ってない分朝日の方がフェアでしょうか。

まあこんなこと書くと報道の自由だとか、言葉狩りだとか言われるんでしょうが。

レイシストやヘイトスピーチなどの言葉はしばき隊がワーワー言われてたあたりで知った言葉です。わざわざ英語で言ってるあたり海外にアピールしてる感じを強く受けます。英字新聞は英語ですし、岐阜のサポーター海外の方に向けたメッセージなので分からなくもないですが(センスはないと思います)、レイシズムやレイシストとか何言っての?って感じです。人種差別や人種差別主義者って日本語で言えばいい。差別という日本語が好きじゃないのかも知れませんが。


この際、 Welcome Aliens とかどうでしょうか?嗚呼、人のこと言えないな


本当はこの件や無観客試合に関する海外反応を記事にしようと思ったんですが、盛り上がってるフォーラムや動画コメントが見つかりませんでした。探す技術が無いのかも知れませんが。反応系は抽出して濃縮している場合が多いので、注目されてるような錯覚を起こしていたのかも知れません。そういえばJなんて日本人にも人気なかったような…。今回の件がメディアの取材数は最多の様な気がしますし、ニュースにも何度も取り上げられてますが、時事を分かったような気になれる、分かったようなことを言えればそれでいいのでしょう。エルクラシコの前では塵みたいなもんです。

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