東アジア選手権を敗れ去ったことで訪れた解任論の嵐は
協会トップの発言で沈静化し、
ファンとメディアは責任問題の矛先を去勢され、怨恨の念を晴らせず、ただただ呪詛するばかりである。
代表人気のバブルは弾け、次々と更新される最低観客数に、
四年に一度の祭典に出場するだけで熱を帯びることが出来た列島の面影はもはや無い。
低温度に日本というだけで応援でもしてみようかとテレビを眺める、
フィギュアスケート以外の冬季オリンピックみたいなものであろう。
フィギュアのような過剰報道も今は昔、
メディアが作るスター達は活躍しないまま、売れない記事を書くことの愚を悟ったのだろう。
代表を観なくなって久しいし、間違っているかも知れないが、
素人の戯れ言だと思ってご容赦頂ければ幸いである。
まず、岡田監督では駄目である。
これは大半の方々と同意見であろう。
ただ今に始まったことではなく、就任した時から分かっていたことでもある。
何を今更、ということ。
簡単に言うと、岡田監督が成功を収めたサッカースタイルでは無いということ。
そしてそれは、亡霊を背負わされたスケープゴートであるということ。
ある意味では、岡田監督は被害者である。
さて、筆者は先ほど亡霊という言葉を使った。
「何を失礼な、彼はまだ生きている。」と仰られる方々、ちょっとお待ちを。
ここではまず、前任者オシム氏について語りたい。
当時、ジェフ市原を率い、
多くのアップセット、ジャイアントキリングを演じ、魅力的なサッカーで人々を魅了した。
哲学的で機知に富む発言で日本サッカー界のご意見番としてメディアに持て囃された。
ジーコジャパンの惨敗でブルーに染まった日本に救世主として代表監督に就任。
方向性を示しながらも、アジアカップ4位に終わる。
急病のため、退任。
当時のジェフ市原は日本サッカーの未来だった。
派手なタレントの少ないチームは、相手チームを凌駕する持久力とコンビネーションを駆使し、
積極的なプレッシングでボールを奪い、そのままゴールへとなだれ込むカウンターを得意とした。
レッズは何度もオシム率いるジェフに苦杯をなめた。
猟られたボールで小気味よくショートパスを繋がれ失点する。
そのとき感じたのは悔しさと美しさと憧れであった。
メディアが欲する、代表に対する発言は常に慎重だったように記憶している。
もちろんあからさまな批判など一つもなかったが、
メディアの質問に答えていたのは含みがあったからかも知れない。
かくして、一世一代の大失言で生まれた代表監督ではあるが、
リーグに依存する身にしてみると相当ショッキングな出来事でもあった。
メディアの賑わいと相反し、リーグを代表する有能な監督が引き抜かれてしまった事態は
規律だけでなく、倫理にさえ反している野蛮な行為であった。
それも自国の協会が自国のリーグを無理矢理に押さえつけた力関係の旧弊は、
以前継続したままだ。
彼に野心があったにせよ、うやむやにせずに彼自身に語って欲しかった。
彼の語彙能力を駆使すれば、上手い比喩を用いて力関係の捩れと馬鹿さ加減を言い当てられただろう。
そして、日本サッカー界のためという甘言の裏で、
チームを愛したもの、リーグを愛するものは裏切られ、悲しんだ事実を悟ってほしかった。
代表監督はセレクターである。
トレーナーでは、ない。
ヨーロッパ列強国の大半の選手は、自身の所属チームで殆どの時間を割かれる。
それでも列強国は列強国である。
セレクターは自身の戦術に適合する選手を集め、指揮を執るのみである。
だからこそオシム監督の誕生は悲劇であった。
トレーナーとして育て上げたジェフは色褪せ、
代表を育て上げる為に時間を割かれる。
リーグは衰退してゆく。
そしてアジアカップは未完のまま臨み、無冠に終わった。
内容は確かに悪くなかったかも知れない。
しかし代表は結果を重視されるべきである。
トーナメントを勝ち上がる為には勝利が必要なのだから。
まだ完成を見ぬままにオシム氏は病に倒れ、
協会はすべてを岡田監督に押し付けた。
「考えて走るサッカー」は「接近・展開・連続」として継承され、
未完部分を補完することで、完成を試みた。
しかし、人が変わればサッカーもまた変わる。
ましてや、本人の意図からスタートした訳ではないのだからややこしい。
結局、完成を見ずに潰えた青写真をファンなり、メディアなり、協会なりが幻想として抱え込んだまま
岡田ジャパンの本質の失われたサッカーを観ていることが問題なのだ。
「オシムフットボール」を強制される「岡田サッカー」の悲劇。
良くも悪くも日本サッカー界の象徴と化し、神格化されながら、
オシム氏の手を離れ、「考えて走るサッカー」は亡霊となり、
苛立つ岡田監督の前で、日本とワルツを踊る。
それはもはやサッカーではないのかも知れない。
こうなった元凶、経緯を辿れば協会であり、
権限を持つ会長であろう。
ただ当時の会長は無邪気なお方であった。
トップシークレットを自身でリークしてしまうほどに。
ただシークレットが明らかになったおかげで
疑念を向けるべき人が増えたのも事実。
あれだけ博学で思慮深かったオシム氏は
自身の影響力や問題意識を棚に上げたままだ。
彼がリーグに残した記憶は大きな財産になった。
その財産に見合う日本代表はいつか生まれるのだろうか?
協会トップの発言で沈静化し、
ファンとメディアは責任問題の矛先を去勢され、怨恨の念を晴らせず、ただただ呪詛するばかりである。
代表人気のバブルは弾け、次々と更新される最低観客数に、
四年に一度の祭典に出場するだけで熱を帯びることが出来た列島の面影はもはや無い。
低温度に日本というだけで応援でもしてみようかとテレビを眺める、
フィギュアスケート以外の冬季オリンピックみたいなものであろう。
フィギュアのような過剰報道も今は昔、
メディアが作るスター達は活躍しないまま、売れない記事を書くことの愚を悟ったのだろう。
代表を観なくなって久しいし、間違っているかも知れないが、
素人の戯れ言だと思ってご容赦頂ければ幸いである。
まず、岡田監督では駄目である。
これは大半の方々と同意見であろう。
ただ今に始まったことではなく、就任した時から分かっていたことでもある。
何を今更、ということ。
簡単に言うと、岡田監督が成功を収めたサッカースタイルでは無いということ。
そしてそれは、亡霊を背負わされたスケープゴートであるということ。
ある意味では、岡田監督は被害者である。
さて、筆者は先ほど亡霊という言葉を使った。
「何を失礼な、彼はまだ生きている。」と仰られる方々、ちょっとお待ちを。
ここではまず、前任者オシム氏について語りたい。
当時、ジェフ市原を率い、
多くのアップセット、ジャイアントキリングを演じ、魅力的なサッカーで人々を魅了した。
哲学的で機知に富む発言で日本サッカー界のご意見番としてメディアに持て囃された。
ジーコジャパンの惨敗でブルーに染まった日本に救世主として代表監督に就任。
方向性を示しながらも、アジアカップ4位に終わる。
急病のため、退任。
当時のジェフ市原は日本サッカーの未来だった。
派手なタレントの少ないチームは、相手チームを凌駕する持久力とコンビネーションを駆使し、
積極的なプレッシングでボールを奪い、そのままゴールへとなだれ込むカウンターを得意とした。
レッズは何度もオシム率いるジェフに苦杯をなめた。
猟られたボールで小気味よくショートパスを繋がれ失点する。
そのとき感じたのは悔しさと美しさと憧れであった。
メディアが欲する、代表に対する発言は常に慎重だったように記憶している。
もちろんあからさまな批判など一つもなかったが、
メディアの質問に答えていたのは含みがあったからかも知れない。
かくして、一世一代の大失言で生まれた代表監督ではあるが、
リーグに依存する身にしてみると相当ショッキングな出来事でもあった。
メディアの賑わいと相反し、リーグを代表する有能な監督が引き抜かれてしまった事態は
規律だけでなく、倫理にさえ反している野蛮な行為であった。
それも自国の協会が自国のリーグを無理矢理に押さえつけた力関係の旧弊は、
以前継続したままだ。
彼に野心があったにせよ、うやむやにせずに彼自身に語って欲しかった。
彼の語彙能力を駆使すれば、上手い比喩を用いて力関係の捩れと馬鹿さ加減を言い当てられただろう。
そして、日本サッカー界のためという甘言の裏で、
チームを愛したもの、リーグを愛するものは裏切られ、悲しんだ事実を悟ってほしかった。
代表監督はセレクターである。
トレーナーでは、ない。
ヨーロッパ列強国の大半の選手は、自身の所属チームで殆どの時間を割かれる。
それでも列強国は列強国である。
セレクターは自身の戦術に適合する選手を集め、指揮を執るのみである。
だからこそオシム監督の誕生は悲劇であった。
トレーナーとして育て上げたジェフは色褪せ、
代表を育て上げる為に時間を割かれる。
リーグは衰退してゆく。
そしてアジアカップは未完のまま臨み、無冠に終わった。
内容は確かに悪くなかったかも知れない。
しかし代表は結果を重視されるべきである。
トーナメントを勝ち上がる為には勝利が必要なのだから。
まだ完成を見ぬままにオシム氏は病に倒れ、
協会はすべてを岡田監督に押し付けた。
「考えて走るサッカー」は「接近・展開・連続」として継承され、
未完部分を補完することで、完成を試みた。
しかし、人が変わればサッカーもまた変わる。
ましてや、本人の意図からスタートした訳ではないのだからややこしい。
結局、完成を見ずに潰えた青写真をファンなり、メディアなり、協会なりが幻想として抱え込んだまま
岡田ジャパンの本質の失われたサッカーを観ていることが問題なのだ。
「オシムフットボール」を強制される「岡田サッカー」の悲劇。
良くも悪くも日本サッカー界の象徴と化し、神格化されながら、
オシム氏の手を離れ、「考えて走るサッカー」は亡霊となり、
苛立つ岡田監督の前で、日本とワルツを踊る。
それはもはやサッカーではないのかも知れない。
こうなった元凶、経緯を辿れば協会であり、
権限を持つ会長であろう。
ただ当時の会長は無邪気なお方であった。
トップシークレットを自身でリークしてしまうほどに。
ただシークレットが明らかになったおかげで
疑念を向けるべき人が増えたのも事実。
あれだけ博学で思慮深かったオシム氏は
自身の影響力や問題意識を棚に上げたままだ。
彼がリーグに残した記憶は大きな財産になった。
その財産に見合う日本代表はいつか生まれるのだろうか?